【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「白鳥路の彫刻/雨上がり」

金沢市外濠(そとぼり)公園の「白鳥路(はくちょうろ)」は、石川門の下から金沢城公園の横を通って大手堀に向かう静かな小路で、金沢3大文豪である「徳田秋声(とくだしゅうせい)」、「泉鏡花(いずみきょうか)」、「室生犀星(むろうさいせい)」の像や、いくつもの彫刻が並び飾られています。

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「白鳥路」

この「白鳥路」は森林のトンネルになった300メートルほどの緩やかに蛇行した小路で、1年を通して趣のある静かで落ち着いた散策スポットです。

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「白鳥路」

春のお花見の頃には歴史を感じさせるほど成長した桜が遥か頭上で咲き誇り、梅雨の頃には脇のせせらぎを舞うホタルを見ることができます。

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Ⓒ穏やかなラポン 「白鳥路のせせらぎ」

毎年、「白鳥路」では「白鳥路ホタル観賞の夕べ」が開催されており、昨年(2019年)の開催日は6月7日(金)~9日(日)、14日(金)~16日(日)でした。

1年を通し、無料デートスポットの一つとして、このロマンチックな彫刻の小径を選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。

というわけで、今回の記事は金沢の静かな彫刻の小路である「白鳥路」です。

【白鳥路の由来】

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「白鳥路」

その昔、「白鳥路」は石川門と大手堀を結ぶ「白鳥堀(はくちょうほり)」と呼ばれるお堀でした。

「白鳥堀」という名前の由来は、お堀に水鳥を放したことによるそうです。なぜ水鳥を放したかというと、水面を渡る侵入者に驚いた水鳥がバタバタと羽音を立てることで、番兵が城内への侵入者を察知することができるからです。

その「白鳥堀」は埋め立てられ、1930年(昭和5年)に路(みち)として「白鳥路」と呼ばれるようになりました。

その後、1984年(昭和59年)には「水と緑と思索の道」として整備され、今のような散策路になりました。

現在、「白鳥路」の入口にはシンボルとして、大きなハクチョウの銅像が置かれています。

【白鳥路の彫刻を散策】

平成17年4月の「金沢まちなか彫刻設置基本方針」によれば、「白鳥路」はテーマ性を感じさせる設置例であり、彫刻が集積し、「点」から「線」へ連続する彫刻の路として、作品の魅力を引き上げている好例でもある。と評価されています。

今回は石川門の下から大手堀方面へと散策してみました。

現在、「白鳥路」には21体の彫刻がありますが、この記事でご紹介する彫刻はその一部になりますので、あらかじめご了承ください。

前田利家公の銅像(竹下慶一氏)

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Ⓒ穏やかなラポン 「前田利家公の銅像」

最初に目につくのが、白鳥路の入口にある前田利家(まえだ としいえ)の銅像で、作者は竹下慶一氏です。

前田利家は加賀藩主前田氏の祖である戦国大名で、豊臣政権の五大老の一人です。まあ、加賀百万石と言えば、前田利家というイメージが強いのですが、実は前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からであり、利家ではないのです。

竹下慶一氏は金沢市生まれで、昭和12年に二科展初入選。日展では昭和28年入選より出品を続けました。青年像を制作し続けて、若々しいエネルギーや息吹を制作課題としました。
≪1914年(大正3年)~2000年(平成12年)≫

大手堀の入口付近にある彫刻「いずみ」も竹下慶一氏の作品です。

清流(富永直樹氏)

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Ⓒ穏やかなラポン 「清流」

富永直樹氏の本名は富永良雄で、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑像部を首席で卒業しています。在学中の1936年(昭和11年)に日展の前身、文展に「F子の首」 (長崎県美術館蔵)で初入選して以来、日展を主な舞台に活躍しました。

1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけて、3年連続で日展の特選に輝き、1972年(昭和47年)には日本芸術院賞を受賞しています。その後、日展理事、理事長を歴任し、日展顧問になられました。
≪1913年(大正2年)~2006年(平成18年)≫

街角(松田尚之作氏)

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Ⓒ穏やかなラポン 「街角」

松田尚之氏は金沢市生まれで、大正11年に東京美術学校彫刻科を卒業しています。第3回帝展に初入選後、帝展・新文展・日展の審査員をたびたびつとめました。金沢美術工芸大学でも教鞭をとり、芸術院会員、日展顧問にもなっています。裸婦像を主に制作し、古典的ななかに清新な生命観をたたえた作風です
≪1898年(明治31)~1995年(平成7)≫

雨上がり(得能節朗氏)

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Ⓒ穏やかなラポン 「雨上がり」

得能節朗氏は岡山県生まれで、軍医であった父の勤務で、栃木・中国旅順・東京など転地し、昭和29年に金沢美術工芸短期大学の専攻科を修了しています。昭和26年の第7回日展に初入選後、特選、会員賞、日彫展日彫賞、日展内閣総理大臣賞を受賞。日展評議員、金沢美術工芸大学名誉教授。≪1930年(昭和5)~≫

金沢三大文豪の「泉鏡花像」も得能節朗氏の作品です。

空(矩幸成氏)

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Ⓒ穏やかなラポン 「空」

金沢美術工芸大学名誉教授、日展評議員であった矩幸成氏は金沢市生まれで、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業し、東京美術学校研究科を修了しています。

在学中の第7回帝展に「女性」を出品して初入選し、新日展になると委員、審査員、会員となり、「昔日の影」が内閣総理大臣賞を受賞しています。≪1903年(明治36年)~1980年(昭和55年)≫

女立像(長谷川八十氏)

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「女立像」

金沢美術工芸大学名誉教授の長谷川八十氏は、金沢市生まれで本名は八十吉です。石川県工業学校(現:石川県立工業高校)図案科を卒業した後、東京美術学校鋳金科で高村豊周氏に鋳金を学び、以後彫刻を制作しました。1930年(昭和5年)の第17回二科展に初入選しています。

1946年(昭和21)金沢美術工芸専門学校設立に参加した後、同校で教鞭をとり、後進の指導にあたり、1970年にはアメリカ・バッファロー市アプトンギャラリーにて高光一也氏や小松芳光氏と三人展を開催しました。≪1909年(明治42年)~1982年(昭和57年)≫

ちいさな願い(銭亀賢治氏)

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Ⓒ穏やかなラポン 「ちいさな願い」

日展会員の銭亀賢治氏は加賀市生まれで、昭和33年金沢美術工芸短期大学彫刻科を卒業。昭和42年の第10回日展に初入選後、特選に輝きました。一貫して女性像を制作しており、若い女性の姿態を見事な均衡の内にとらえて、女性らしい情感に満ちた仕草や、伸びやかな生命を感じさせます。≪1938年(昭和13年)~≫

寛ぎ(吉田鎮雄作氏)

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Ⓒ穏やかなラポン 「寛ぎ」

金沢3文豪像

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「金沢3文豪像」

向かって左から、室生犀星像、泉鏡花像、徳田秋声像です。

■室生犀星像(米林 勝二氏)

室生犀星は金沢市生まれの抒情詩人であり小説家です。詩集の代表作としては、「愛の詩集」、「抒情小曲集」などが、小説の代表作としては、「あにいもうと」、「性に目覚める頃」などがあります。室生建つ記念館です。平成14年8月1日、金沢市千日町の犀星生家跡に「室生犀星記念館」が開館しています。
≪1889年(明治22年)~1962年(昭和37年)≫

米林勝二氏は金沢市生まれで、石川県立工業学校窯業科を卒業後、朝倉文夫氏に師事しました。第3回新文展に初入選後は金沢市長賞や日彫展日彫賞を受賞。金沢大学教育学部教授を退官した翌年に文化庁創設10周年記念文化行政功労者表彰を受けました。
≪1911年(明治44年)~2002年(平成14年)≫

■泉鏡花像(得能節朗氏)

泉鏡花は金沢市生まれの小説家であり、江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られています。代表作として「高野聖」、「夜行巡査」、「外科室」などが、他の主要作品として「婦系図」、「歌行燈」などがあります。金沢市下新町に泉鏡花記念館があります。
≪1873年(明治6年)~1939年(昭和14年)≫

得能節朗氏のプロフィールは、前掲「雨上がり」を確認願います。

■徳田秋声像(山瀬晋吾氏)

金沢市生まれの徳田秋声は、島崎藤村、田山花袋とともに自然主義文学の代表と言われる小説家です。代表作としては「新世帯」、「黴」、「あらくれ」、「感傷的の事」などがあります。「ひがし茶屋街」と隣接する浅野川の梅ノ橋のたもとに徳田秋聲記念館があります。≪1872年(明治4年)~ 1943年(昭和18年)≫

内浦町生まれの山瀬晋吾氏は金沢大学教育学部美術専攻を卒業後、第8回日展に初入選し、昭和58年と昭和59年に連続して特選に輝いており、少年・少女をモチーフとした清楚で純真な子どもたちのロマンあふれる夢の世界を追求しています。日展評議員、日本彫刻会会員。≪1935年(昭和10年)~≫

青春の譜(野畠耕之介氏)

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「青春の譜」

金沢市生まれの野畠耕之介氏は、金沢美術工芸短期大学彫刻科、金沢美術工芸大学油画科を卒業し、矩幸成氏に師事しました。第8回日展に初入選後、昭和55年と昭和56年に連続して特選に輝きました。昭和50年と昭和53年には日本彫刻会展で日彫賞を受賞しており、肉体の内面と表情の質感美を基調とした男性像を制作しています。日本彫刻会会員。日展評議員。≪1934年(昭和9年)~≫

高い高い(川岸要吉氏)

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「高い高い」

穴水町生まれの川岸要吉氏は金沢大学教育学部を卒業後、中学教諭を務めるかたわら制作活動を続け、東京教育大学芸術学科に内地留学し、木村珪二氏に学びました。第4回日展に初入選し、昭和51年と昭和56年に特選に輝いています。日展会員で、平成15年まで金沢学院大学の教授をつとめました。
≪1931年(昭和6年)~ 2003年(平成15年)≫

陽が昇る時(谷村俊英氏)

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「陽が昇る時」

寺井町生まれの谷村俊英氏は金沢美術工芸大学彫刻科を卒業し、第7回日展に初入選。その後、高校教諭として勤務しながら日展、日彫展に出品し、第13回と第17回日展で特選に輝きました。女性像を中心に、清新で健康美に溢れる作品を制作しています。日展評議員、日彫会運営委員。≪1941年(昭和16年)~≫

韻(晝間弘氏)

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「韻」

晝間弘(ひるまひろし)氏は、東京美術学校彫刻科を卒業後、文部大臣賞、日本芸術院賞などを受賞。日本芸術院会員、日展常務理事、金沢美術工芸大学や筑波大学の教授を歴任しました。
≪1916年(大正5年)~ 1984年(昭和59年)≫

愛の十字架(石田康夫氏)

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「愛の十字架」

金沢市生まれの石田康夫氏は、金沢美術工芸短期大学研究科に在学中の昭和31年、日展に初入選を果たしています。以降、一貫して日展を中心に旺盛な創作活動を続けており、昭和46、46年と二年連続して日展特選を受賞しました。昭和53年には会員、平成4年には評議員に就任しています。
また、日彫展の名で知られる日本彫刻会では運営委員を務めています。
その作品は、初期から今日までを通じてほとんど裸婦像が中心となっています。簡潔であり、しかも力感に満ちた表現を特徴としており、単なる写実を超えたその裸婦像からは、肉体内部の生命力があふれてくるようです。
≪1934年(昭和9年)~≫

いずみ(竹下慶一氏)

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「いずみ」

竹下慶一氏のプロフィールは、前掲「前田利家公の銅像」を確認願います。

【白鳥路|金沢城の外濠公園】彫刻がいくつも飾られた静かな散策スポット
Ⓒ穏やかなラポン 「白鳥路」

最後に、大手堀の入口から「白鳥路」を撮影した画像を載せておきました。どちらから見ても趣のある静かな彫刻の小路です。

金沢に来られた時はぜひ散策して下さい。

※この記事に掲載されている画像と情報については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。

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