【穏やかな人生】感謝するから幸せになれる

【穏やかな人生】感謝するから幸せになれる

今回は、「感謝するから幸せになれる」という穏やかな人生をおくるための必須法則について記事にしてみました。

穏やかな人生をおくりたいと願っている方の参考になれば幸いです。

「感謝するから幸せになれる」という法則は、何らかの願いがかなった時や思いもしなかったラッキーなことが起きた時などのような自己利益や欲の感謝ではなく、常日頃あなたを支えてくれている全ての存在や出来事を対象とする意識的な感謝です。

あなたは多くの支えによって生きています。人は1人では生きていけない存在です。

例えば、人として生まれたこと、あなたを産んだ両親、あなたを支える人々、あなたが食事をとるために命を落とした動植物等、数多くの存在から助けられています。

このように、あなたを支えてくれている存在に感謝することで幸せになれるのです。

それでは順に法則を見ていきましょう。

「ありがとう」という言葉を毎日100回言っても無駄です

絶えず感謝の気持ちを表現するために、単純に「ありがとう」という言葉を毎日100回言えば良いというものではありません。

とにかく言えばいいんだなあという表面的なスタンスでは何年続けても何も変わりませんから。

要は根本的に、常に感情を伴った「ありがとう」という感謝の気持が必要なのです。

「当たり前」から「ありがとう」へ

「ありがとう」の反対語をご存じですか?それは「当たり前」です。

当たり前とは、そうする事が常識であり普通の事という意味で、元々は「当然」を「当前」と誤表記した事で生まれた言葉と言われています。

これが当たり前、こうしてもらうことが当たり前という気持が強いと感謝の気持ちが少なくなります。

感謝の気持が少なくなれば、楽しさも喜びも少なくなるでしょう。

さらに、当たり前という気持ちが強い人は、「こうしてもらうことが当たり前!」ということを他人からされないと不満やストレスになります。

たとえば、大恋愛の末に結婚した夫婦でも、感謝の気持ちが薄らぎ当たり前の気持ちが多くなると、夫婦間に不満やストレスが蓄積しギクシャクした関係になっていきます。

離婚の原因のほとんどは感謝の気持がなくなることです。感謝していれば浮気なんてありえませんから。

夫婦円満の秘訣はお互いに相手の事を思いやって感謝し続けることです。そして、ありがとうと口に出して感謝することがポイントです。ありがとうと言われて嬉しい気になる人がいても、嫌な気持になる人はいませんから。

これは夫婦間のみならず人間関係の潤滑油というか基本的な生き方のスタンスだと思います。

くれぐれも当たり前という不満やストレスを引き寄せる気持にならないで下さい。

「すみません」から「ありがとう」へ

みなさんは感謝の気持を伝えるのに「すみません」と言っていませんか?

もしかして、「すみません」と言う方は「私のために申し訳ない」という謙虚な気持からなのかもしれません。

感謝の法則を知らなかった昔の私もそうでした。「ありがとう」よりも「すみません」を多発していました。「すみません」の方が「ありがとう」よりも大人的な感謝の言葉だと勘違いしていたのです。

しかし、「すみません」は、もともと感謝を伝える言葉ではありませんので、いかに心の中で感謝したとしても、その気持は期待するほど相手には伝わらないのです。

やはり、感謝の言葉は「ありがとう」なのです。「すみません」と言われるよりも「ありがとう」と言われた方が、こちらも嬉しくなりませんか?

うつ専門メンタルコーチの先生によれば、メンタル面で不調を抱えている人は「すみません」という言葉が多いのに対し、元気な人は「ありがとうございます」と言う言葉をよく使っているそうです。

まあ、暗い人よりも明るい人が好かれるのは世の常ですから、やはり「ありがとう」の効果は絶大です。

今迄「すみません」という言葉を多発されてきた方は、今日から「ありがとう」という言葉に切りかえてみましょう。

たった一言変えるだけで、あなたに対する友人や知人の印象が良くなり、自身の幸福感も上昇すること間違いなしです。

聖書における感謝の法則

「感謝するから幸せになれる」という法則は大昔からの黄金律です。その考え方は聖書にも登場しています。

新約聖書のテサロニケの信徒への手紙5章16節~18節に次の聖句があります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」

このパウロの聖句は単に「喜んでいなさい。祈りなさい。感謝しなさい。」というのではなくて、「いつも、絶えず、すべての事に」がポイントなのです。

でも、喜べない嫌なことも多いし、腹が立てば感謝も忘れる。ましてや、絶えず祈るなんて無理!と思いませんか?

普通は喜びたい時に喜び、祈りたい時に祈り、感謝したい時に感謝する。それが自然ですよね。

でも、この聖句はそういうことができない時でも行いなさいと言っているのです。

この行いは人間の努力だけでは続けることが難しいのですが、神の望みなのでキリスト・イエスの恵みによりなされるという意味です。

なお、「すべての事について感謝しなさい」と言っても、不幸な出来事についても感謝しなさいという意味ではありません。

「感謝するから幸せになれる」という法則のように、すべての事について意識的に感謝しなさい!という意味です。

仏教における感謝の法則

キリスト教だけではなく、仏教においても感謝の法則が登場しています。

仏教では、この世界に人として生まれてきたこと自体が「有り難い」喜びなのだから感謝しなさいと教えています。

「ありがとう」という感謝の言葉は、法句経の一節「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」という、人として生まれた「有り難さ」と命の尊さを伝える言葉が語源とする説があります。

また、人間として生まれることの「有り難さ」を釈迦が盲亀浮木(百年に一度海面に浮上する目の見えない亀が大海を漂う一本の流木に開いた穴に偶然頭を入れるくらい滅多に起こらない事)に例えて弟子に説く話があります。

お釈迦様は「自分を少しでも助けてくれる人があったら一生その人の恩は忘れないこと、恩を忘れるのは人間らしくない」と言っています。

人生において仲間や周囲の人達に対して感謝の心を意識的に持つことの重要性が述べられています。

これを突き詰れば、全てに感謝してその幸福を祈願する義務がある!ということになります。

このように、仏教においても「感謝するから幸せになれる」という法則のように、すべての事について意識的に感謝しなさい!という教えがあるのです。

感謝の暖簾で私もさらに幸せになれた

【穏やかな人生】感謝するから幸せになれる

上の画像は十年以上前に某社の社長さんから頂いた暖簾です。右はズームアップです。

自宅の階段の途中の壁に貼り付けてあるのですが、毎日「感謝するから幸せになれる」という法則を胸に刻み意識しながら生活しています。

そして、日頃のスタンスも「当たり前」から「ありがとう」へ、「すみません」から「ありがとう」へと変えることができました。

私がさらに幸せになれたのは某社の社長さんと社長さんから頂いた暖簾のおかげだと感謝しています。

みなさんも今日から「感謝するから幸せになれる」を始めてみませんか。

※この記事に掲載されている情報については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。

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